キャパシティを広げていきたい
この記事を見て改めて自分のキャパを考えることになった。
自己責任という言葉は切り捨てられる人にとっては本当に辛いもので、
正当性のある批判のように感じられる。
当時高校生だった自分もこの事件をニュースで見て
「自己責任」だろうと考えていた。
自分は人のためになるだろう、社会貢献になるだろうという意識で
戦場へ出かけて行き、結果、
反政力につかまって無関係な人間までも巻き込まれる。
自分たちの国の人間が遠い国で捕まり、
それによって自分の国を守るための自衛隊を撤退させるよう要求される。
自衛隊を派遣するということは
国益というか、今後自分たちが戦争に巻き込まれてしまう場合、
助けてくれる国を確保する意味合いでも重要な行為であったと思う。
その自衛隊を撤退させるということはテロに屈したということと一緒で
よりテロをすることを容易にしてしまう。
18歳の人間がそこに行くだけで政治に影響を与えてしまう。
ある意味遠い国の戦争を身近に感じることが出来る事件だった。
イラクへ行ってつかまったこの方は
世界全体をひとつの共同体だと考えているのだろう。
しかし、自己責任だと言ってる人間は
日本人しかひとつの共同体だと考えていない。
自分に至っては今はもっと視野が狭くて自分のことしか考えてないので
日本人というより関係ない自分を不利益に巻き込むなというスタンスでいた。
誰でもキャパシティに差がある。
だが、このニュースを拝見していて感じたことは
キャパシティを全体で補っていくほど社会が安定してくるのではないのか。
ということだ。
互いに補う形で1+1が3にも4にもなる。
補っていくことでインフラができるし、それぞれの職で生活が豊かになる。
色んな職や行動を許すことによってより周りが考え、
セーフティネットも充実してくる。
それをこの記事から読み取れた。
批判してきた人と文通をして最後には
「頑張れよ」と言われるようになったという。すごく救いがある。
話をしていくうちに共同体の一人だと認めたのだろう。
批判はコミュニケーション不足や意思疎通の不足によるものなのだ。
人は交流のある人を簡単に見捨てることは出来ない。
自分は交流を断ってきた。人とかかわることがわずらわしく、
すぐ自分のことでキャパオーバー。人のことを背負うと確実に破綻する。
しかし、これからは少しでもそのキャパを広げるよう頑張っていこう。
そうすると人に対する優しさや助ける余裕が出てくるはずだ。
頑張ろう。
改めて自分の性格、持ちえる範囲を考えるようになった。